秋が立ち、ようようと暑さもおさまれば、やがて露は白く結び、季節を分け寒さが忍び寄り、露もはや霜となる。
秋の深まりは意外に早いものです。心地よい秋の到来に、つい先日まで暑さに喘いでいたことを忘れてしまいそうになります。十月から十一月へ。昔なら冬の支度へと心急かされた時期でもありました。今は秋の色どりを楽しむ行楽のシーズンが盛りとなります。山々の木々も美しく装う姿は正に錦秋、自然が作り出す鮮やかな秋の色を心ゆくまで楽しんでまいりましょう。


「山粧う」と形容されるのは秋の山の豪華さ!

「山粧う(やまよそおう)」とは草木がそれぞれに色づき山を美しく彩る様子のこと。「錦秋」とも形容されます。「錦(にしき)」とは何色もの糸を用いて華麗な模様を織りだした豪華で美しい織物をいいます。また立派になることのたとえにもなります。山々が美しく粧えば合間をぬって流れる川もまた美しさを映します。

≪ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは≫ 在原業平朝臣

百人一首にも納められている一首ですので、秋の歌として多くの人に愛唱されています。色づいた葉が秋の光に照らされ輝きながら流れるさまは、まるで「唐の国からきた美しい織物のようだ」こんな光景は神々の時代でさえ見聞きすることはできませんよ、と詠っています。
ずいぶんと大げさな表現ですが、作者が『伊勢物語』の主人公として有名な伝説の美男子、在原業平とわかれば艶やかな華やぎとともに秋の情景が立ちのぼってきませんか。

秋が深まるにしたがい、赤や黄色に染まった木々の鮮やかな色彩が溢れんばかりに広がる景色に出会えるのが日本の秋です。それぞれの地に現われる個性的な「山の粧い」は必見です。


「霜降」が表すめぐり来る季節

霜が降り始める時季「霜降(そうこう)」は冬の前ぶれ。晴れ渡った秋の空も夜を迎えれば、空気中の水蒸気が放射冷却によって冷やされます。地上の草木にふれれば表面は凍てつき霜となり薄らと白を置きます。清少納言も『枕草子』で冬の霜の美しさをたたえています。北国ではもう初霜が見られるころになっていることでしょう。

また「霜」は年月を表す文字として使われています。「星霜(せいそう)」は一年を「露霜(つゆしも)」「歳霜(さいそう)」は年月を表します。日々目にする自然の風物を見ながら私たちは季節がめぐりくるのを感じています。昔の人は霜を目にしたとき「ああ、今年も一年が経つのだな」と強く感じたのでしょう。
ちなみに「幾霜(いくしも)」は何年もの歳月という意味になり「幾星霜(いくせいそう」「幾年月(いくとしつき)」と使われます。重ねてきた年月だけではなく乗り越えてきた困難や苦難をも包み込み、その果てに得られた充実を静かにかみしめるような含蓄をもった、趣のあることばとなっています。

自然界が色とりどりに華やいで見せてくれるのは、一年を頑張って過ごしてきた私たちへのご褒美かもしれません。初霜を見てこの一年を振り返るもよし、積み重ねてきた人生を思うのもまた一興。秋の穏やかな陽ざしの心地よさも残り少なくなっています。


「時雨」は晩秋の風情に欠かせません

秋も深まるころ、降ったり止んだりを繰り返す通り雨が「時雨(しぐれ)」です。

≪しぐれけり走り入りけり晴れにけり≫ 広瀬惟然

「時雨」のようすがとてもよくわかる句です。実は「時雨」が降るためには自然景観が大きく影響しており、関東平野のように平地が続く地域にはみられず、山に囲まれたり山に近い地域に起こる現象ということです。
その環境を備えているのが盆地にある奈良や京都。古くから多くの和歌や俳句が詠まれてきた文芸の地です。
一時降る雨が微妙に自然の情景を変えていく、ささやかな変化も見逃さない歌人の目を「時雨」と捉えたようです。

≪龍田川もみぢ葉ながる神なびの みむろの山に時雨ふるらし≫ 読み人しらず『古今和歌集』

神様のいらっしゃる三室の山に「時雨」が降ったのですね。だから龍田川に紅葉が流れてきています。秋の山はひと雨で何かが変わっていく、そんな観察を楽しんでいる心意気も感じられる歌ではありませんか。

≪昔おもふしぐれ降る夜の鍋の音≫ 鬼貫

サッと通り過ぎて行った冷たい雨の音、湯気をあげている鍋の煮える温かな音が共に聞こえてきます。こちらはもう冬を感じ始めているようです。

秋は実りを迎え収穫を終えると一気に冬へと季節を移していきます。色鮮やかな紅葉が雨に打たれ寂寥としていくさまを見届けると、晩秋は幕切れとなります。ちょっぴり感傷的になって情緒にひたるのにはぴったりの時季のようですよ。