11月になりました。8日に「立冬」を迎えると暦の上ではいよいよ「冬」となります。とはいえお天気のいい日には心地のよい温かさに身体がゆったりとくつろぎます。夏の暑さから解放された安堵感と、本格的な冬の寒さにはもう少し間のある、ほっと一息つく穏やかさを味わえる時季といえましょう。木々の色づいた葉の輝きに目を奪われていると、いつしか吹く風が葉を散らし始めます。季節が静かに入れ替わるようすを眺めてまいりましょう。

永観堂の紅葉

永観堂の紅葉


暦が告げるのは冬の始まる日「立冬」

11月に入るとすぐにやってくるのが「立冬」。太陽の位置は黄経225度。「冬の気配が立ち始めて、次第に温度が下がっていく頃」と『暦便覧』にあるように、「秋分」の180度から「冬至」の270度へと進むちょうど真ん中。秋から冬へと進む季節は天体の動きを正確に表しているのだと改めて感じられます。
「冬」という文字を使うには未だ早いのですが、朝晩に感じる肌寒さには季節の進みを実感します。それでも私たちのまわりにはまだまだ秋を楽しむ時間がたっぷりと残っています。

≪菊の香や月夜ながらに冬に入る≫ 正岡子規

菊の香も月夜も秋。秋の風情に浸っている子規に暦が知らせたのは「立冬」。秋を存分に楽しんでいる子規の心はハッとさせられたのかもしれません。ふっと湧いた「もう冬なのか」という感慨。迎える冬への挨拶の思いを感じます。寂しく寒い冬は喜んでむかえる季節とはいい難いですが、やはり越すべき時節。「立冬」はちょっと進みがたい気持ちを前へ、と向けてくれるお知らせ、そんな気がしませんか。


「小春」冬を前にした穏やかな心地よさ

「立冬」を過ぎてもすぐに厳しい寒さが訪れるわけではありません。少しくすんだような青い空はどこまでも高く、ぬくもりを持った日差しの穏やかな日和がしばらく続きます。その暖かなことがまるで春のよう、ということから「小春」とか「小春日」という愛らしい名前がつけられています。お日さまがほのぼのと暖かく、誰もが自然体でいられる心地よさです。

≪小春日や潮より青き蟹の甲≫ 水原秋櫻子

≪玉の如き小春日和を授かりし≫ 松本たかし

≪人肌のごと小春日が墓を抱く≫ 中山純子

心地よさゆえでしょう、誰も「小春日」が作りだしたこのひと時、この瞬間をたっぷりと楽しんでいるように見えます。まなざしの温かさ、そして大きく開かれた心が羽ばたいて行くような喜びまでも感じませんか。

天気のいい秋の日は外へ出て行きたくなります。心のままにどんどん行きましょう。こんな穏やかな日は今しかない、かもしれませんよ。


木枯らしが作りだす偶然の美「吹き寄せ」

心地よい「小春」が秋の一日ならば、枝を揺さぶるような北風が吹くのもまた深まりゆく季節の兆しです。木を枯らしてしまうから「木枯らし」また「木の嵐」ともいわれ由来は色々です。色づき枯れていく木の葉を吹き飛ばす北風の強さと厳しさが感じられます。

「木枯らし」が木の葉を吹き払うように落としていくようすは、時雨の風情にたとえられて「木の葉時雨」といわれています。厳しさを持つ風の中で枯葉が飛びすさび擦れ合う音が聞こえてきそうなことばです。

≪純粋に木の葉ふる音空は瑠璃≫ 川端茅舎

赤や黄に染めて人々を楽しませてきた葉もあれば、瑞々しく輝く色を失った葉も「木枯らし」に吹かれて行き所を失います。北風に舞う木の葉は追いやられ、やがてどこかで「吹き寄せ」となります。
一枚になってしまったそれぞれの葉っぱが寄り集まっているのを眺めてみたら、なんだか素敵じゃない、と自然が作りだした美しさを「吹き寄せ」と誰かが言い出したのでしょう。何時の頃からかそんな名前がつきました。どんぐりや松ぼっくりも、と取り合わせの妙を見つけることができます。「吹き寄せ」は料理にも応用され、秋の味覚を彩よく盛り合わせて楽しみます。

風が吹き払う木の葉は宙を舞いながらもやがて地に落ち、落葉となって重なり道を埋めていくことでしょう。赤や黄色の葉が地面を埋め尽くし、枯葉の絨毯を敷き詰めたようになるともう、冬は間近くなっています。